2012年05月20日

旅にしあれば モンゴル編

2012年5月20日(日)

ブータン,チベットにつづいて,旅にしあれば第3弾,「中国モンゴル自治区~モンゴル国への旅」をお送りする。1993年夏の旅である。
モンゴルが,社会主義体制を放棄してモンゴル人民共和国からモンゴル国となったのが1992年。大きな変化のなかのモンゴルへの旅だった。


 三たびアジアである。今回は中国モンゴル自治区からモンゴル国(いわゆる外モンゴル)にかけての十日間、駆け足のモンゴル旅行であった。例に依って旅日記を綴っていくことにする。

プロローグ
 今回は大阪の小学校の退職された校長先生が教員仲間、地域の人たちをメンバーに計画された旅行で、私自身は無関係ながら、たまたまその小学校の教員の友人がいたため、誘われ参加した。もっともその当人は参加しなかったので、知り合いはあらかじめ誰もいない中に参加したわけである。
 モンゴルは長年の夢であった。日本人との類縁性、草原、馬、そういったイメージが長いこと私をひきつけてきた。そういえば、前回チベットに行ったとき見た夢に、モンゴルの騎手が出てきた。だから、その次はモンゴルへ行こうと思っていた。チベットから2年経ってモンゴル行きを計画したが、一緒にいくはずだった人の不参加で、その計画は未遂に終わった。というところへ飛び込んできたのが上記の計画だったのである。知らない人ばかりで少々躊躇するものはあったが、モンゴルの政治的に分かれた二つの地域の両方を旅するという行程にひかれて参加を申し込んだ。

第一日 1993年8月16日
 朝7時半すぎにタクシーを拾って京都駅へ。前回のチベット旅行とは違って、集合時間の1時間前、午前9時に到着する。空港内はたいへんな人数の旅行者で混雑している。お盆過ぎの航空運賃が下がる時期だからか。時間を潰そうにも喫茶店もあいていない状態である。集合時刻に団体受付へ。旅行会社の女性社長が待っている。堂々たる体格の偉丈夫である。荷物を預けたのち、別室へ。
 ツアーのメンバーは大半が50代以上の男性という構成にいささか驚く。
 社長の司会で、簡単な自己紹介をし合う。ツアーの企画者で世話係のUさんは、元小学校校長で、気配りのきいたフットワークの軽い人のように見える。私の横に座った男性はU氏が校長を務めた小学校の何代か前のPTA会長で、いわゆる地域の顔役。U氏がここ数年間に「全中国を旅すること」を夢見て企画してきたツアーに何度も同行し、「中国はもう14回目でんねん」とのこと、今回は(というより毎回なのかもしれない)団長。以下、副団長、団長補佐、と、元PTA会長関係が続き、これはもうスーパーローカリズムの世界。ありゃあ,私の来るべき世界でなかったか,と思う。でも、なかには共通した楽しみ方をできる人もいるであろう、と自分で自分を納得させた。
 11時45分、6番ゲイトより搭乗、今回はJALである。12時離陸。約2時間で現地時間の午後1時に上海着。今回の旅行の添乗員、サイ嬢が待っている。彼女は旅行会社の北京事務所のたったひとりの社員なのだ。日本からの添乗員は上海までで、全行程の添乗はこのサイさんが行うという。U氏企画の前回のツアーにも同行したそうだ。
 しばし空港の外を歩くと3才くらいの女の子を連れた男性が近づいてくる。どうも、「この子にいくらかやってくれ」という物乞らしい。身なりはそう悪くないのだが。空港内の兌換処に両替しにいこうとすると、今度は40前後の男性が寄ってきて「1マンエン」と言う。兌換処だと5(百元)だが、自分なら7だと言う。断って兌換処へいくと、兌換の女性は服務員はとんでもなく無愛想である。パスポートも元紙幣も、手渡すじゃなく、投げてよこす。中国の民間の商店や企業はずいぶん愛想がいいけれど、服務員はまだいばっている。両替を終えて戻ると例の男性が再度「イチマンエン」と寄ってくる。「プーヤオ」というと苦笑いして離れた。中国語が通じる、とちょっとうれしくなる。その後も別の若い気の弱そうな男が「1万円 750元」などと書いたメモを見せてヤミ両替を迫る。出発前に104円台の高値を示していた円は、こちらでずいぶん待望されているようだ。
 午後5時10分、上海より北京へ。機内で中国語会話の基本練習をガイドブック首っ引きでやる。旅行に出る前テープを聞いたりして多少は勉強したが、あまり身についていない。座席上部の棚の蓋がはずれかけてあいているのをスチュワーデスに注意しようとして「チンカン(見てください)」と言ったらほんとうに「看」はしたが、看るだけで、直さず。なおしてくださいはわからなかったので、そのまま。
 午後7時北京着。空港からバスで近くの国都飯店へ。ここはスイスとの合弁企業でMOBENNPICKというスイス名もついている。炒めもの中心のバンファン(晩飯)をいただく。
 そこからさらにバスに揺られること50分。北京空港は北京市の東にあり、われわれの泊まるシャングリラホテルは北京の西にあるから、その間が長いのだ。香港との合弁企業である当ホテルはかなり豪華なつくりである。それにしても「合弁」てやつがやたら多い。2年前の広州ではこれほどたびたびは聞かなかったように思うが、それは状況の変化を示すのか、それともここが北京だからか。ともかく急速な経済発展をとげつつある中国の現状をもっとも端的に表す言葉であろう。
 14階のツインにHさんという,10歳くらい年長の女性と泊まる。会って1日にしかならないが、ものごとをきちんとおもしろがれる人で、私をこの旅行に誘った友人が「きっと合いますよう」と言っていたのもうなずける。
 ホテルまでのバスの中でUさんのこれまでの中国旅行についてきく。Uさんは国交成立前から中国にきているとのこと。
 北京の朝の交通ラッシュは相当なものらしく、早めの出発をするために明日は6時半モーニングコールと早いが、おいしい朝食が楽しみである。

第2日 8月17日
 シャングリラホテルのパンはおいしいですよ、とのサイさんの言葉通り、軽い塩味の胡麻パンがたいそうおいしく、二つばかりさらにバターを塗って持ってでた。目の前でトマト、ピーマン、マッシュルーム、チーズ等を混ぜて焼いてくれるオムレツも美味であった。
 胡宮博物館へ。全然しらなかったけど、ここがラストエンペラーの紫禁城だったのだ。映画の冒頭で大勢の家来がひれ伏していたのがこの広間で、この門からチビの皇帝がころころとまろびでてきて・・などと思い出してみたが、目の前には家来ならぬ観光客の群れ。途中ガイドにはぐれたスペイン人(?)をお助けするが、彼女らはうまくガイドに会えたかしら。出口付近で、紫禁城の写真本や絵はがき手によってくる物売りはしきりと「センエン、センエン」という。売店のFUJI FILMも4つで千円、「2つで5百円にしてくれないか」というとだめだという。Black Marketは千円以上しか扱わないのだろうか。
 11時半紫禁城を出て12時半昌平友誼商店にて昼食。ここは入り口の両側に2人ずつ女性が立って日本式のお辞儀で迎えてくれるずいぶん愛想のいいところである。焼餅(シャオピン)がおいしかった。
 1時半再びバスに乗り、万里の長城へ。約1時間で、長城見学のスポットに着く。バスの駐車場は日本の観光地のノリで土産物屋が軒を連ね、スピーカーから音楽が流される。
 去年完成したばかりという快速ロープウェーに乗って一気に長城まで上がる。ただこうした料金は,外国人は中国人の3倍払わねばならない。
 上に上がれば、観光地のノリも人の多さも越えて壮観である。かねてよりの計画通り、長城からの景色をながめつつヘッドフォンで音楽を聞く。チベットにいったとき、ここでグレゴリアン・チャントを聞いたら合うだろうなあと思ったのが始まり。ラフマニノフのピアノ協奏曲2番が風景に響く。ラフマニノフは川とか山とか大きいものを思って書いたにちがいない。音楽と自然のつながりが瞬間わかった。音楽は本来風に鳴る物であり、山に走るものなのだ。だから音楽を聞くときその人の身体はミクロコスモスとしてその音楽を響かせるのだ。
 かといってご当地ソングを拡声器で流したところで音は拡散するだけで自然と調和しない。身体のミクロコスモス化には、ヘッドフォンステレオがもってこいである。自然の山に音を響かせるとなれば、たとえば追分けということににるのでしょうか。
 午後3時半バスにのり、途中空港近くのレストランで夕食。食後にわかに雷鳴とどろき雨が降ってくる。モンゴル自治区のフフホトへ飛ぶ飛行機は予定より30分早く午後8時5分発に変更されたということだったが、空港についてみると、たぶん悪天候の影響だろう、肝心の飛行機が到着しておらず待たされる。1時間以上待って、ようやく午後9時半搭乗、10時離陸。
 フフホトへは11時に着いた。気候はさわやかで半ズボンの足も少々寒いな、という程度。星空がすごい。サイさんが「明日は草原だからもっとすごいよー」と。
 自分のルーツと思いこんでいる土地にやってくるとシャーマニズム的な感覚が賦活されるのか。機内でうとうとしながら私のリュックだけが他の荷物から離れていてなかなか出てこないというイメージがわき、「文句いわんとあかんなー」と思っていたら、空港でそれが実現した。
 ツーリストインフォメーションを探すフランス人?のために通訳。この旅行ではよくかり出される。
 モンゴル自治区でのガイドは栗(リツ)さんという漢人である。
 フフホトでの泊まりは昭王酒店。ギンギラのイルミネーションが、何もそこまでしなくても、と思わせる。メンバーM氏の旧友で、モンゴル自治区ナンバー2の実力者という人物がホテルにきていた。顔がごっつい迫力。昔昔の日本や、あるいは中国にはいたかもしれないという顔で、見事に飛び出た眉が印象的。プロレスラーの上田馬之介をもっとお大尽にした感じ。握手の手が非常に力強かった。


同じカテゴリー()の記事
冬の盛岡さんぽ
冬の盛岡さんぽ(2013-02-10 22:11)

出張終わり
出張終わり(2013-02-06 16:39)

大人の休日
大人の休日(2013-01-15 18:06)

松阪より帰福
松阪より帰福(2013-01-08 07:01)


Posted by ボブ・マリ at 09:48│Comments(0)
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。