2012年12月22日
イノさんのトランク
2012年12月23日(土)
木曜日の夜10時,BSプレミアムで放映された「イノさんのトランク」を見た。
ゴジラの本多猪四郎監督が残したトランクを亡くなってから20年ぶりに奥様があける,その様子,そこに至るまでを取材したもの。
トランクは本多監督が戦地から持ち帰ったもので,その中には奥様の手紙のほか,黒澤明からの手紙もあった。
トランクに残したものを整理する仕事を,東宝をやめた後の自分の仕事,と考えていた本多監督だったのに,それはかなわなかった。なぜか。数年ぶりにメガホンをとった黒澤監督から,演出助手として助けてほしいと依頼され,「影武者」から5本の映画を撮り,最後の「まあだだよ」の公開を待たずに本多監督は逝去したから。
イノさんクロさんと呼び合う二人の絆,はねっかえりで絶対別れることになるから結婚するなとクロさんが反対したイノさんの奥さん・きみさんの夫への思い。
そして,きみさんの,本多・黒澤の関係への評価は
「純粋バカですよ」。
いずれも素晴らしくて,滂沱の涙であった。
あ,私,すぐ滂沱するので,安っぽい涙ですけど。
黒澤監督,本多監督どちらとも仕事をした土屋嘉男の証言もすばらしかったな。
影武者以降一緒に仕事をするようになった二人は,東宝の撮影所近くに住んでご近所,土屋嘉男もそうだったので,監督二人が散歩している姿をよく見かけたのだそうだ。
きょうだい,おじいさんの。
と,土屋嘉男は表現した。
端正なマスクと落ち着いた人柄の本多猪四郎と,万事激烈な,でも,娘・黒澤和子に言わせれば「わらかんちん」の黒澤明は正反対の性格で,だから関係を維持できたんだな。
本多が戦地に行き,戦争末期の1945年5月に黒澤が監督作品に主演した矢口陽子と結婚することになったとき,黒澤は本多邸を訪れ,風呂を所望したという。結婚前に,あかをさっぱり落としておきたい,と。
風呂上がりに,配給の一本きりのビールを本多きみはあけ,きみが風呂に入っているはいだに黒澤は半分飲んで,礼とともに,あと半分はきみさんに,と手紙に書いて去ったという。
この,本多夫人と黒澤明の信頼関係も,心を打つ。
そもそも,黒澤と本多が入っていた下宿に,スクリプターとして東宝入社した男勝りのきみさんが住むようになったところからつきあいは始まったというのだから,この3者の友情は深い。
きみさんと本多監督の結婚に黒澤が反対したというのは,もしかして本多監督をきみさんにとられるような気がしたんじゃないだろうか。
黒澤明の自殺未遂事件のときは,本多は訪ねず,こんなときに行っても迷惑なだけだ,と言い,「弱虫め」と黒澤のことを言っていた,という。
そして,本多猪四郎が末期のがんで余命わずかとわかったとき,きみ夫人がまっさきに訪ねていったのは黒澤邸だった。
本多が亡くなったあと黒澤は毎日本多邸を訪ねたという。
黒澤明の自伝『蝦蟇の油』を久しぶりに読み返してみようと思う。
木曜日の夜10時,BSプレミアムで放映された「イノさんのトランク」を見た。
ゴジラの本多猪四郎監督が残したトランクを亡くなってから20年ぶりに奥様があける,その様子,そこに至るまでを取材したもの。
トランクは本多監督が戦地から持ち帰ったもので,その中には奥様の手紙のほか,黒澤明からの手紙もあった。
トランクに残したものを整理する仕事を,東宝をやめた後の自分の仕事,と考えていた本多監督だったのに,それはかなわなかった。なぜか。数年ぶりにメガホンをとった黒澤監督から,演出助手として助けてほしいと依頼され,「影武者」から5本の映画を撮り,最後の「まあだだよ」の公開を待たずに本多監督は逝去したから。
イノさんクロさんと呼び合う二人の絆,はねっかえりで絶対別れることになるから結婚するなとクロさんが反対したイノさんの奥さん・きみさんの夫への思い。
そして,きみさんの,本多・黒澤の関係への評価は
「純粋バカですよ」。
いずれも素晴らしくて,滂沱の涙であった。
あ,私,すぐ滂沱するので,安っぽい涙ですけど。
黒澤監督,本多監督どちらとも仕事をした土屋嘉男の証言もすばらしかったな。
影武者以降一緒に仕事をするようになった二人は,東宝の撮影所近くに住んでご近所,土屋嘉男もそうだったので,監督二人が散歩している姿をよく見かけたのだそうだ。
きょうだい,おじいさんの。
と,土屋嘉男は表現した。
端正なマスクと落ち着いた人柄の本多猪四郎と,万事激烈な,でも,娘・黒澤和子に言わせれば「わらかんちん」の黒澤明は正反対の性格で,だから関係を維持できたんだな。
本多が戦地に行き,戦争末期の1945年5月に黒澤が監督作品に主演した矢口陽子と結婚することになったとき,黒澤は本多邸を訪れ,風呂を所望したという。結婚前に,あかをさっぱり落としておきたい,と。
風呂上がりに,配給の一本きりのビールを本多きみはあけ,きみが風呂に入っているはいだに黒澤は半分飲んで,礼とともに,あと半分はきみさんに,と手紙に書いて去ったという。
この,本多夫人と黒澤明の信頼関係も,心を打つ。
そもそも,黒澤と本多が入っていた下宿に,スクリプターとして東宝入社した男勝りのきみさんが住むようになったところからつきあいは始まったというのだから,この3者の友情は深い。
きみさんと本多監督の結婚に黒澤が反対したというのは,もしかして本多監督をきみさんにとられるような気がしたんじゃないだろうか。
黒澤明の自殺未遂事件のときは,本多は訪ねず,こんなときに行っても迷惑なだけだ,と言い,「弱虫め」と黒澤のことを言っていた,という。
そして,本多猪四郎が末期のがんで余命わずかとわかったとき,きみ夫人がまっさきに訪ねていったのは黒澤邸だった。
本多が亡くなったあと黒澤は毎日本多邸を訪ねたという。
黒澤明の自伝『蝦蟇の油』を久しぶりに読み返してみようと思う。
Posted by ボブ・マリ at 07:57│Comments(0)
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