2013年02月11日

レ・ミゼラブル

2013年2月11日(月)

掃除と洗濯のあいまに,フォーラムに「レ・ミゼラブル」を見に行った。
おもしろかったなあ。
帝国劇場の舞台を一度見たことがあるけど,そのときは,さほど感動しなかったが,今回は,キた。
顔の表情がよくわかるから,感情移入しやすいのかも。

ジャン・バルジャンのヒュー・ジャックマンは,X-Men の役者なんだよね。それを見てないので,今回初見である。
むきむきの肉体は,格闘家か室伏かって感じ。顔が小さいからよけいからだがごつく見える。
伊勢谷友介がボディービルをしたら,似た感じになるかも。
ジャックマンの筋肉はミバだけではない,使える筋肉であることを演技でいかんなく示す。冒頭は折れたマストをかつぐは,終盤は革命で傷ついたマリウスをしょあげて運ぶは,実にワイルドなジャン・バルジャンだった。
マリウスとともに下水道を逃げるシーンは,第三の男をちょっと思わせる。

ジャン・バルジャンの超人性を描くことで,逆にこの男の,子どもらしさが浮き彫りになってくるように思えた。
「七人の侍」の菊千代,にも似て。
コゼットをひきとって父でもあり母でもある暮らしをしてきたジャン・バルジャンだけれども,コゼットとマリウスに見守られて息をひきとるとき,コゼットの子どもになっているように見える。愛を初めてしった子どもとして。

これから,この役者は注目。

で,あるが,実はこの映画でむしろココロひかれたのは敵役のほう。
ジャン・バルジャンをシンプルな肉体派として描くことでその純粋さを際立てる一方で,悪は演技派俳優を起用して陰影豊かに描かれた。
その代表,ラッセル・クロウがなんとも魅力的なジャベールで。
歌も朗々として,いい声。
バルジャンとの対決シーンのかけあいの歌で,「牢獄で生まれた」と出自が一瞬語られる。
世界を生きてきたという点で,バルジャンとジャベールは相似形なのだ。
だから,このバルジャンへの憎しみを生きがいとして捕縛することを人生の目標とするこの男にとって,敵・バルジャンに命を助けられることは,生きがいを喪うことを意味したけれど,なんとかして救われる道はないものかと思って見ていた。ヴィクトル・ユゴーの意図はともかく,現代に生きる製作者の関心はむしろジャベールの救いにあるのじゃないか。法の番人を自認しそのありかたに懐疑を抱かずにいる段階でのシーンで,がけっぷちを歩かせ,自死をとげるシーンでも同じく高い橋のふちを歩かせるのは,この男の人生の危うさ,死と背中あわせの人生であったことを示していそうだ。

それから,宿屋のテナルティエ一家のいかがわしさの魅力。
女房役のヘレナ・ボナム=カーターは,ティム・バートンの公私のパートナーで,最近作では「ダーク・シャドウ」でイカれた精神科医を演じていたが,本作でも,いい。
こいつらの娘に生まれたのが不幸のもと,である,エポニーヌ。美人な女優さんじゃないが,報われぬ恋の相手への献身がせつない。
手塚治虫の「リボンの騎士」の,悪魔の娘でサファイアの友だちになる少女を思い出した。

純粋なエポニーヌはマリウスを守るために命をささげるけど,その両親はしぶとく生き残り,結婚式に厚かましくも顔を出す。
ただ,彼らの登場が,マリウスに,命の恩人がバルジャンであることを教えることになり,マリウス・コゼットとバルジャンの再会を実現させるのだから,悪もんも役に立っている。

おまけ。
エポニーヌの謙虚さからすると,少女時代のコゼット役の女の子は得体の知れぬ狡猾さを感じさせて,ぞくっとしたのだけど,そういう効果をねらっての演技指導なのか?それとも私が勝手に感じてしまっただけ?
それと,同志たちがみな命を落としたなかで生き残ったマリウスはコゼットと新しい人生を生きることを,希望をもって選択するけれども,日本人のメンタリティからすると,過去との決別はあんなに簡単にはいかない,ということも感じた。







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Posted by ボブ・マリ at 19:26│Comments(0)映画
 
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